時雨とは、冬の初めに、晴れていたのに急に降りだし、かと思えばやむ雨のことをさす、冬の季語だ。

 今日はそんな季節を感じる一日であった。

 午前中に、相談室へ行った。その話は別のところで。

 学生食堂は、とにかく昼時は混んで、嫌なので、ピークの時間を避けて行くようにしている。私が入学した頃は、コロナの影響で非対面の授業がほとんどなのもあり、学食はとてもすいていた。それに慣れてしまったので、今の人混みには辟易としてしまう。

 今は学食に訪れるのも週に一回ほどなのだが、ちゃんとした食事というのはいろんないみで、良いものだなあと思う。ただ値段は、さほど安いというわけではない。高くて日常的には利用できない、と思っている学生もかなり多くいそうな値段ではある。

 私は大学にはいつも一人でいる。友だちは居ないのだ。気が楽でいい。楽しそうな周りの人を見ても、傷つくことはなくなった。なんだか最近は穏やかな気持で世界を眺めることができているような気がする。気がするだけか。

 幸福……一般幸福、それがどういうものだか、定義をしないと話がすすめられないような、議論がしたいわけではないから、それがなんだかわからないが、そういうものは、たぶん自分の外側にあるものだ。それに手を伸ばすから苦しくなるのであって、私はただ、そういう外の世界を、きれいだなと眺めていれば、それで良いような気もする。大体一般幸福は虚構ではないか。誰でも……人生がただ、きれいなものであるはずがない。なのに、世界が一見、きれいなものにみえる。だからそういう、幸福は虚構で……幻想で……それに手を伸ばそうとする行為が、己を不幸に貶めることになる。(幸せになろうとするということは、今の自分は幸せではないことを示してしまう)

 一般的な幸福というか、幸福は各々にしか存在しないはずなのだから、一般幸福などというものがまかりとおるとしてもそれは虚構である、と断じてしまいたくなるんだよね。

 私なんか浅学で横着性なので、こうやってインターネットの端っこで好き勝手いうことしかできない。

 たくさん勉強して、根拠を持って自分の意見を主張している人達は凄いな。尊敬だな。どうしてそんなに頑張れるのだろうか。結局は好きだから、というのが大きいのだろうか。

 それじゃああんまり世界を好きじゃない私にはせいぜいってことだ。

 今日は少し日記っぽいですね。

By 竹環

コメントを残す