言語とはなにか?

 この深遠なる問いを考えるにあたって、言語学者たちは言語の特徴、言語が言語である定義を様々に模索してきた。以下、『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』今井むつみ・秋田善美著(中公新書2756、2023年)を参考に、その10の性質についてまとめる。

 まずは、すべて述べておこう。コミュニケーション機能、意味性、超越性、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性、恣意性、二重性である。

 このうち、経済性以外は、アメリカの言語学者チャールズ・フランシス・ホケット(Charles Francis Hockett、1916–2000)が、人間の言語は動物のコミュニケーションとどう違うかを指摘した際に用いた指標の一部である。
 経済性も、フランスの言語学者アンドレ・マルティネ(André Martinet、1908 – 1999)以降、注目されてきた。

 ではひとつひとつ、見ていこう。

コミュニケーション機能

 言語はコミュニケーションを目的にして発信されるものである、という観点である。音声言語にせよ手話にせよ、何かを相手に伝えたり、情報を伝達する目的があって用いられるのが言語である。
『言語の本質』では、独り言や日記についても、自分を相手とした疑似的なコミュニケーションという側面があることが考えられるとしている(が、個人的にはこの点には考察の余地があるように思う)

意味性

 意味性とは、特定の音形が特定の意味と結びつくという性質である。
 とんかつという音がとんかつを表す。「とんかつ」という、食べ物をあらわすのは、とんかつという言葉であり、とんけつも、とんこつも、「とんかつ」ではない、というわけである。

超越性

 言語は、今、ここにないものも表現することができる。
 昨日のこと、百年前のこと、あるいは未来の事、明日の晩御飯の事を話題にすることができる。たとえば野良猫がにゃあにゃあすりよってきたときの鳴き声が、さっきのできごとを表し、伝えているとは考えにくい。「ごはんちょうだい!」と今現在のリクエストを表現していると考えることはできるが。

継承性

 言語は、世代を経て、継承されていく。言語は特定の伝統・文化の中で引き継がれていくものである。子どもは親や周りの世界から、自分の属するコミュニティで用いられる言語を学んでいく。
 日本語も、長い時間を経て継承されてきた言語である。その起源には諸説あり、言語の興味深さがうかがえる。

習得可能性

 われわれ人間は、母語以外の言語も学んで、使えるようになることが可能である(頑張れば)。継承性と少し似ているが、継承性は母語としての獲得や継承の面に注目している点で、習得可能性とは着眼点が異なっている。

生産性

 言葉には、生産性がある。この文章も、その生産性の表れといえる。言語は特定のパターンや特定の発話しか存在しないわけではなく、そのシステム内で、ほぼ無限に言葉を組み合わせ、表現を行うことができる。言語は無限の文学作品を生み出すことが可能である。これも言語に生産性の性質があるからだ。
 また、言語には単語レベルの生産性がある。我々はすでにある単語の形式に従って、様々な新しい単語を生みだすことができる。〇〇活の派生など分かりやすい例である。

経済性

 言語の経済性とは、言語はより便利に、コスパよく使えるような形になっている、という意味での経済性のことをいう。同音異義語や、動詞などの意味が非常に多様化する例などがこの性質の現れである。

 日本語の「上がる」は、「階段を上がる」「気分が上がる」など、様々な場面で違う意味を持って使われる。その様々な上がるの意味別に、異なる別々の単語がそれぞれあったとしたら、それらをすべて覚えなくてはならないことになる。
 それは大変なので、「上がる」という、下から上に物が移動するというイメージを、様々な場面に連想して、「上がる」の一語を覚えれば済むようにしているのだ。これを、経済性と呼ぶ。

 略語などがよく生み出されるのも、この経済性の現れだろう。

離散性

 言語は離散的である。ちょっとわかりにくいが、離散とはアナログ(連続)の反対、デジタルのことである。
 色を例に出すと、現実世界にあふれている色は、連続的なものである。色を表す言葉は、赤とか、オレンジとか、黄色とか。虹はグラデーションだが、日本の感覚だと七色というのが一般的だ。虹の中にある無限の色を、七つに分ける。では、赤とオレンジの間は? 考えてみると非常に曖昧だと分かる。だが言語は、そのような、本来連続していて境目の曖昧なものを離散的に表している。これが、言語の離散性である。

恣意性

 言語は、恣意的なものである。恣意という言葉に聞き馴染みのない人は分かりにくいかもしれないが、要は必然性がない、ということだ。

 例えば目の前に、ねこがいるとしよう。日本語では、ねこ。英語では、Cat、というように、同じものを指す単語は、言語によって違う。ねこだけではない、いぬもたぬきも、全部そうだ。日本語においてねこという動物を「ねこ」と呼ぶのは、誰かが勝手に「ねこ」と言い出したから。これが、恣意性ということであり、言語はとても恣意的なものなのだ。


 ただ、ここにおいてユニークなのが、「オノマトペ」の存在である。にゃーにゃーとか、わんわんとかいう、あれだ。なかでも擬声語と呼ばれるものは音声を言語に表そうとしたものであり、完全に恣意的なものとはいえない。この点については、『言語の本質』で詳しく述べられていてとても興味深い。

二重性

 パターンの二重性と呼ばれる性質である。
 音声言語を構成するひとつひとつの音は意味を持たないが、連なって、ひとつの塊となることで、そこに意味が生まれる。ねこ、であれば、n、e、k、oと四つの音からなる。このnやeの音そのものに、特に意味はない。だがこの四つがひとかたまりに発音されると、それは「ねこ」となり、ねこ。ねこをさす、意味をもつ言葉という事になる。意味がある、ない、という二重性が言語にはあるのだ。

まとめ・参考文献

 この記事では、要点だけを端的に解説するにとどめた。『言語の本質』では、オノマトペという不思議な言語を、この10の観点から解説しているほか、咳払いや口笛などとの非言語との比較を踏まえて分かりやすく説明している。

 より詳しく知りたい人は、ぜひ読んでみてほしい。

『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』今井むつみ・秋田善美著(中公新書2756、2023年)

参考外部リンク:
チャールズ・ホケット(ウィキペディア)
アンドレ・マルティネ(ウィキペディア)

By 竹環

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